宗教、政治、防衛、原発など現代日本人にとっては出来れば目を背けたいもの、しかしながら事有るごとに関わりあいを持たなくてはいけないもの、というのは沢山あるでしょう。

実際にそれらの問題が自分自身に降りかかって来た時に我々はどのような態度をとるのでしょうか。

この小説では原発を中心としてこの問題提起に対する著者の様々な考察が堅牢なモチーフによってスピーディーに展開していきます。

東野圭吾先生と言えばその巧みな科学的描写が思い浮かばれる読者の方々が多いかと思われます。

この作品では、出てくる機体は防衛省が開発中の最新型ヘリという設定、また現場は原発ということで、そのメカニカルな描写はファンの方が期待する以上のものとなっています。

しかし、情景描写だけではなく、冒頭でも言及しましたように「問題から目を背ける」という態度が引き起こす結果について夫婦関係なども交えながらの情緒的表現も切れ味するどく、分厚い本ではありますが一気に読ませる迫力を持っています。

エンターテイメント小説の構成として、主人公に対する強力な敵が必要となります。

この作品では勿論原発を管理する政府機関や犯人を追い詰める警察がその役目です。

しかしながら著者はこれらの敵を完全無欠な悪として描こうとはしていません。

警官にも仕事という立場があり、政府機関にだって良識を持つ人間がいる。

勧善懲悪的な作品で得られる様なカタルシスはそこには有りませんが、人生について真剣に考察される様な読者にとっては非常に物語に没入していける作品の深みになっていることでしょう。

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また、科学技術に対する暖かい目線も東野先生の特徴であります。

原子炉の冷却パイプ検査に関する会話シーンでは、検査コイル構造による見逃の可能性について質問する登場人物に対して主人公が答えます。

「絶対落ちない飛行機があるか?俺たち技術者が出来るのはその確率を下げていくことだけだ。その確率をみて乗客は自分は大丈夫だろうとして搭乗するんだ。」
絶対という技術は確かに存在しません。

しかも技術者の想定をはるかに超えてくる自然現象が起こりうることを私たちは実際に近年経験してきています。

その想定の甘さを責めるのはすごく簡単なことですが、技術者も戦っているんだよと著者は諭してくれているような気がします。

バランス感のある著者の著述姿勢にはいつも感銘を受けます。

最後の主人公の言葉「子供は刺されて初めて蜂の恐ろしさを知る。」も決して批判の言葉ではありません。

ミサイルが着弾してからしかその恐ろしさが分からないのか?狂気の集団が犯す犯罪で多数の死者が出ないと対処は出来ないのか?

もちろん実際の社会では皆様ご存知のように喧々諤々の議論が行なわれているわけでありますが、その決断を下せない群集が悪であるという見方ではなく、自分も含めてあらゆる問題にコミットしていくことが大切だとの著者のメッセージだと感じます。

他人事として何の見識も持たないこと、またその意見を表明しない事、その事こそが危険であると実感させられました。

とにかくこの作品はすぐれたエンターテイメントであると同時に、私たちの現代社会にたいする関与を求めてくる思索的な内容を持っています。

答えは勿論書いてありません。その答えを一緒に探しましょう、そう誘われているのです。

楽しさを損なわず、このような重いテーマを内在させてしまうところに著者の力量を感じます。

決して短時間で読める分量ではありませんが、今まで述べて来ましたように情景、心情の描写、巧みな構成など皆様に是非味わっていただきたい作品であります。

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