小説「月のしずく」は、1997年の10月に浅田次郎によって文藝春秋から刊行された短編小説集になっております。

もとになっているのは「オール讀物」の1996年11月号から、「小説すばる」の1997年9月号までに連載されていた7つの短編小説になります。

著者にとっては代表作でもあり直木賞受賞作品でもある「鉄道員」と前後した時期に書かれただけあり、傑作揃いです。

本作品に収録されている「銀色の雨」は、単行本化された後の2009年には鈴井貴之によって映画化もされています。

どん底の人生を歩んでいた7人の男女の、それぞれの葛藤と旅立ちが映し出されていきます。

明かりが射し込む時

港のコンビナートで肉体労働に明け暮れるひとりの無骨な男を主人公にした表題作から、本作品集は始まっていきます。

「蟻ン子」と呼ばれるほどの苛酷な荷役に打ち込みながら、仕事終わりの1杯にのみ生き甲斐を見出だす佐藤辰夫の生きざまには味わい深いものがありました。

「ワーキングプア」や「格差社会」と言ったキーワードが社会問題になる遥か前に執筆されていますが、今の時代を予感したかのような鋭い描写には驚かされました。

ある満月の夜の工場からの帰りに、肉体的にも精神的にも傷ついた女性・リエと出逢います。

ふたりの間に芽生えでいく恋愛模様と、奇妙な共同生活には心温まるものがありました。

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昔の夢と今の現実を描く

40才を過ぎても昔の恋人を忘れることが出来ない、主婦の揺れ動く繊細な心を描き出されていく「聖夜の肖像」も印象的でした。

何不自由ない暮らしに満足しながらも、どこか物足りないものを抱えている島崎久子の日常が浮かび上がっていきます。

誰しもに訪れることになる、若い頃の美しさが衰えていく焦燥感にはほろ苦いものがありました。

その一方では年齢を重ねることによって噛みしめることが出来る、他の誰かへの優しさや思いやりが感動的でした。

ふたつの国と多くの人たちを結び付けていく

「琉璃想」では浅田次郎の作品群の中にしばしば登場する、中国が舞台になっています。

世界的に有名な北京の観光名所や歴史的な建造物ばかりではなく、ありふれた路地裏や何気ない街角のムードまでが忠実に再現されていました。

1997年の香港返還を契機とした、民主化へと向かっていく当時の中国の世相や風潮が今となっては懐かしく思い浮かんできます。

戦争によって引き裂かれていく家族の悲劇と、過去の哀しみに捉われ続けている人々には胸が痛みました。

憎しみ合うだけではなく歴史認識の違いを乗り換えていく姿からは、対立が深まっていく今現在の日中関係についても考えさせられました。

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巡り合うふたり

幼い子供を捨てて男と駆け落ちした母親との再会をテーマにした「ピエタ」で、本書は幕を閉じます。

自分自身の寄るべのなさを母にぶつけるかのように、ヒロインの友子は有名な大学のキャンパスへと進み大手の出版社で順調に出世街道を昇っていきます。

その一方では愛憎半ばする母親と、向き合うことが出来ない苦しみも伝わってきました。

美しく成長して真っ白なドレスを身に纏い傍らには恋人を侍らせながらも、陰りのある眼差しも良かったです。

24年間の時を越えてローマのスペイン広場で母親と娘が対峙するシーンが圧巻です。

多くを語ることはないけれども

個性豊かなキャラクターたちに訪れる、悲喜こもごもが見所になります。

それぞれのストーリーが深く掘り下げられてないところが、この本の不思議な魅力です。

語られざる部分に対して自由に思い巡らせていきながら想像してみる、読者にとっての大きな楽しみが残されています。

家族や恋人を始めとする大切な人との関係性に思い悩んでいる方たちには、是非とも手に取って頂きたい1冊になります。

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